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talking place Dub Meeting Osakaインタビュー:〈前編〉 ─関西ダブ・シーンの新たな要─

talking place#04
with Dub Meeting Osaka

L to R | Dub Kazuman , Hiroshi Takakura , Sak-Dub-I

Dub Meeting Osaka

Sak-Dub-I , Hiroshi from Riddim Chango , Dub Kazumanが運営する大阪発ダブ ムーブメント。
2018年よりO.B.F&Sir Wilson , Alpha Steppa , Mac Gyver from Stand High Patrol)の来日大阪公演を開催。
海外においても活躍する関西の輩三人衆が繰り広げるRoots&Dub Music Revolution!

いわゆるUKのジャー・シャカを始祖にしつつも、広がり続けるUK、そしてヨーロッパのニュールーツ系のベース・ミュージック〜サウンドシステム・カルチャー。ダブステップ以降のベース・ミュージックともリンクすることでさまざまな多様化を見せ、サウンドとして、そしてある種のネットワークとして、それはアジアなど世界各地に飛び火し、ひとつのシーンを現前させている。こうした状況に呼応するような動きはここ日本にももちろんある。
今回紹介する〈Dub Meeting Osaka〉は、関西圏でまさにこうした動きに呼応するパーティ / 集団と言えるだろう。
それぞれ海外の名門ダブ・レーベルから作品をリリースしているアーティスト、Sak Dub I、Dub Kazman。そして同様に自身もトラックメイカーとして活躍しつつ、Bim One Productionの1TAとともにレーベル〈Riddim Chango〉を運営するHiroshi Takakuraの3人によって 運営されている。
定期的な3人によるパーティのほか、O.B.FやAlpha Steppa、Mac Gyverといった海外勢から、Mighty Massa、Bim One Production、Undefinedといった国内勢も自らのパーティに招聘し、大阪の地をそのベースラインで振るわしている。精力的な活動はひとつパーティだけではなく、それぞれの作品のリリース、そして2018年の最後には、ミックステープ&ジン『HEAVYWEIGHT』の第1弾をリリースした。
また今年のこの国のダブ・カルチャーのひとつの総決算となりそうな、12月30日代官山〈UNIT〉で行われる〈TOKYO DUB ATTACK〉にも参加することになっている。国内外のネットーワークと関西ローカルを結びつけ、“ダブ”というサウンドを心から楽しんでいるのがその活動からひしひしと伝わってくる、そんなクルーに今回はインタヴューを慣行した。

インタビュアー:河村祐介 / 写真:西村満

Dub Meeting Osaka

この3人が一緒にパーティをやりはじめたというのはどういう経緯なんでしょうか?

Sak-Dub-I(以下Sak)きっかけ…… まずはカズマがヨーロッパに留学していて、ヒロシくんがロンドンに住んでて、そこでふたりがまず出会ってから?

Hiroshi Takakura(以下Hiroshi)自分がロンドンに住んでいた頃に、知り合いづてに「若くて、やばいやつが来る」みたいにカズマ君を紹介されて(笑)。

Sak「やばい」ってどっちの意味の?(笑)

Hiroshiどっちの意味もでしょ(笑)。そこで紹介されて遊び始めて。その直後ぐらいにSakがフランス、ロンドンに行くというのを知って。

Sakそこでヒロシくんがブリストルでギグを取ってくれたんですよ。

出会いはヨーロッパなんですね。

Dub Kazman(以下Kazuma)3人ということになると、そうなんですよね。

Sakカズマはヨーロッパで出会う前から遊んでたっけ? 大阪で、あ、遊んでたな。それで自分がヨーロッパに行くというタイミングが重なって。

なるほど、ヒロシさんのロンドン滞在がひとつハブになっているようですが、いつから住まわれたんですか?

Hiroshi2007年からかな。そこからちょうど10年ですね。京都出身で、いまも京都に住んでるんですけど、ちゃっかり大阪のところにまざってますけど(笑)。

Sak“ダブ・ミーティング・関西”なのかも(笑)。ヒロシくんが京都に帰ってきてから。

Kazumaそうですね。ただし「立ち上げ」みたいに大きなことを企んでいたわけではなくて。

Hiroshi前に金山さん(TSUKASA RECORDS店主)と、サクくんも出ていたパーティ〈Dub Club Osaka〉が前身としてあって。その延長という感じでなにかやろうというような話だったと思う。

Sakそうそう。

KazumaOBF Sound Systemが来るというのもひとつのきっかけちゃうん?

Hiroshiああたしかに。

KazumaOBFの来日ツアーの大阪公演をオーガナイズするのに、会って話し合いをしだしたというのがはじめですね。

ちなみにみなさん世代的には?

Sak僕が38歳。

Hiroshi39歳。

Kazuma28歳。

わりとサクさんとヒロシさんが同じ世代でカズマさんは一世代若いという。

Sakでもカズマが一番偉いです(笑)。

OBFの来日ツアーを契機に定期的にイベントをやっていると。

Sakそうですね。

大阪ダブ・シーン

大阪のシーンっていうのはどうなんでしょうか? レゲエとくくると、それこそすごい歴史と世代、いろいろなタイプのアーティストがいると思うので、ダブに関していうと。

Kazumaシステムもやっぱりダンスホールも含めていうと、それなりの数がずっとありますよね。

Sakそう、広くレゲエといえばバンドもDJも結構いると思う。僕らの上に金山さんという方がいて、その世代ぐらいがまずいて、ダブのレコードとかが大阪でも買いやすくなったというのはあるというか。俺らが20歳くらいかな、2000年前後ぐらいから、いわゆるヨーロッパのダブが手に入るようになって。いまもその世代の方はみなさんシーンにはいますけど、みんなしぶとくやっていますよ。シーンが、日の目を浴びるとかメジャーなことというと言い方はおかしいかもしれませんが、そういうことになっていないけど、ちゃんとそこにあるという感じですね。

Kazumaお客さんも増えてもないけど、多分減ってはないと思う。ずっとなんかはありますよね。正直変なダンスホールのパーティよりかはダブのパーティで入っていると思うし。

Sakそんなハードルあげんほうがいいと思うけど(笑)。でも、本当にずっとなんかはある。

Hiroshi独特の熱はあると思いますね。僕の場合は、イギリスと比べてみてとか、京都と比べてみてとか、そういう外からの感覚で大阪のことを見れると思うんですけど。とにかく独特で、テンション高いですね。踊る人、叫ぶ人も多いし(笑)。

いまのサウンドシステム~ダブのカルチャーって、わりとストイックにニュールーツ・スタイルというスタイル、いわゆるラスタ・カルチャーにどっぷりというスタイルもあれば、例えばBim Oneのようなダンスホールやダブステップ以降のベース・ミュージックとかも含んだスタイルとかあると思うんですけど、大阪のというのはどうなんでしょうか?

Kazumaそこに壁がないというか、いろいろ集まっている感じかな。

Hiroshi自分が見ている感じだと、大阪っぽい感じというかダブにしても、ベース・ミュージックっぽいだけという感じでもなくて、なんかもっとオラオラな感じがしますね。

Kazumaでもやっぱりジャー・シャカは好きという感じありますよね。

Hiroshiそう、ルーツの王道はやっぱり好きという。

Sakそう、ダブに特化せんでもとにかくレゲエが好きという感じが大阪はするかも。特にカズマが育った泉州(大阪南西部、和泉市や岸和田市周辺の地域)はレゲエ・タウンという感じで、親父がレゲエを好きでちっちゃい頃から聞いているとかそういうような地域やしな。なんか根付いてる感はあるけど「あのイベントは何百人も入ってる」とかそういうのはないよな。安定してみんなやり続けていて、Bun BunさんとかSoul Fire、Havさんとかはずっといるし。そう考えていくと、いろんなダブの形がありますね。バンドであったり、自分たちのようなデジタルであったり。

いろんなものを飲み込みつつずっとあると。

SakなんとなくだけどMCはあんまりおらんな。曲作る人間とかDJ(セレクター)は多いけど、あんまりいない感じがするな。

関西圏のダブのシーンと、西日本、例えば中国地方とか四国、九州なんかはつながってる感じですか?

Sak最高音響は姫路で、あとは九州とかもたまに行ったりで交流はあって。あとは名古屋とか四日市もつながってきて、熱いですね。この前Undifinedも四日市行ってましたけど。

Hiroshi九州も福岡しかいったことないですけど、好きな人がいる感じっていうのは伝わってきてますよね。福岡も大阪と似た感じでちょこっと荒っぽいというか(笑)。そういう意味でレゲエっぽいところはあると思う。

ちなみにそれぞれみなさんがいまの音楽に出会ったのって、どんなきっかけがあるんでしょうか?

Sakたぶん、一番最初にAba Shanti-Iが日本に来たときに観に行ったのが最初ですね。Shandi-Iさんも出てて。そこではじめてダブをちゃんと聴いて。それまではテクノとか、アブストラクト・ヒップホップとかを聴いてたんですけど、いきなり「あの人、ターンテーブル1台でやばいな」と思って。それでくらってしまった。でも当時、大阪でUKのニュールーツのレコードはなかなか売ってなくて、Shandi-Iさんの京都のお店まで行って買って。やっと大阪の金山さんがやっていたお店に行って。そういうところに通うようになったというのがきっかけですね。それが20歳くらい。当時は大阪は風営法の問題でクラブがなくなる前だったんで、クラブもたくさんあって、朝までいろいろやってたから。それこそ味園ビルでいろんなイベント行ってましたね。マッド・プロフェッサーのイベント行ったりとかいろいろしてましたね。でも風営法の問題が大きくなってから、ガラッとシーンの感じが変わりましたね。

2000年代入ってすぐぐらいですかね。

Sakそうですね。あとはシャカも来たりして、やっぱり「なんじゃこれ」と。もちろんロンドンとはまた違うとは思ったんですけど。

Hiroshi自分もダブということで言うと本格的にはまったのはロンドンに行ってからなんですよ。Iration Steppasのダンスがはじめで、3サウンドシステムの〈University of Dub〉というイベントが最初で。それに行ったときの、音圧、音量があり得ない感覚で。もう2日くらい耳鳴りがしてて(笑)。思い切りくらいましたね。そこで、いままで聴いたレゲエとは全く違うなって思って。

ロンドンへ行った理由は?

Hiroshi当時はジャングルとか好きだっというのもあるんですけど、自分の兄貴のむちゃくちゃ仲の良い友達がロンドンに住んでたんですよ。海外行きたいと思ってて、金貯めてて。ジャングルが好きで、ダブステップが出てきた頃で、それを現地で聴いてみたいと思ったのが最初。だから兄貴のその友だちのところに1回遊びに行ってみようと。そうしたら仕事が結構簡単に見つかったんですね。まだビザとかも緩くて。1年ぐらい住んでみようかなって言うのが、いつのまにか長くなって。

10年と。

Hiroshi長いっすね。

Kazuma自分ははじめダンスホールが好きでレコードを買ってて。ルーツも好きだったんで、金山さんのレコード屋さんに行ってたんですよ。そこで金山さんのイベントに行くようになったのが大きくて。その後でロンドンに行って、やっぱりAba Shanti-Iのセッション行って衝撃を受けて。

わりとずっとレゲエなんですね。

Hiroshiやっぱり泉州。

Kazumaもう、中学校のお昼の放送委員会が流すBGMがダンスホール・レゲエのミックスでしたからね(笑)。何個か上の先輩のミックスが流れてて。

どんなところなんですか?

Sak海沿いが工場で……大阪のサウス・ヤードですね。だんじりが盛んで。

Hiroshi血の気が多い(笑)。