スタートライン
もともと音楽に触れたのは、まずはDJをやろうというのが最初ですか?
R.Taguchiいや、そういうわけでもないんですよ。中学に入学して仲良くなった友人がラウド・ロックやメタルが好きで。その影響で。同時に親戚のおじさんがメタルが好きで、メタリカとかのCDを貸し付けられたり。そこで、そういう音楽に興味を持ってという。おじさんから貸してもらったCDはいま思ったらメタリカと一緒にエイジアン・ダブ・ファンデーションとかマシンドラムとかも入っていて。
たぶんコーンとか、ミクチャー・ロックとかいわゆるニュー・メタルとかのリスナーと、フェスに出るようなブレイクビーツとかリスナーがかぶってる世代の人って感じですかね。
R.Taguchiめっちゃコーンとかですね。
何年くらい?
R.Taguchiいま28歳で、当時12歳とかだから、2008年とかか。ギターもらって弾き始めて、まわりの友だちがベースとかドラムとかで一緒にコピー・バンドやりはじめて、もちろん遊びの延長線上としてのスタートでしたね。
その後ダンス・ミュージックとかに興味を見いだしたのはいつごろですか?
R.Taguchiメタルからの流れでメタルコア、スクリーモなど現行のモダンなやつが好きになって。それこそ国内のバンドならCrossfaithとかLOSTとかで。ただ途中からPitchforkなんかで他の音楽も掘り始めて。そこで色々な楽器とか、色々な音が入っているものがおもしろくなって。あとは大阪にK2レコードという、東京で言う、昔のジャニスみたいなアンダーグラウンドな音楽も扱っているレンタルのお店があって、そこに通って、とにかくいろいろなジャンルの棚にあるCDを片っ端から借りて、全部聴くみたいなことをやっていて。そのなかで最終的にクラブ・ミュージックにたどり着いたという感じですね。
自分の好きなものはコレなんだなと落ち着いたというか。
R.Taguchiそうですね。高校の頭ぐらいだったので、時代的には2010年代初期のポスト・ダブステップ全盛期という感じで。そのあたりを聴き込んでという。あとその周辺というか、チルウェイヴとかLAビーツとかそういう音楽が最新の音楽として勢いのあった時期で。
そのあたりからDJに興味を持ち始めるという。
R.Taguchiちょうどスクリームがダブステップからハウスに移行し始めた時期で。そこでハウス・ミュージックを知るというのがまずはあって。同時に当時好きだったクリスタルキャッスルズのコピーバンドをやるために買った打ち込み用のDAWなんかもあって、その延長でチルウェイヴっぽい曲を作ってみたりという、全部なんとなくですね。その後、本格的にクラブ・ミュージックを掘っていくとレコードでしか出ていない音源があることに気付くんですね。それで12インチを探しに行くと。そういえばはじめてレコードを買ったのが大阪の〈Newtone Records〉で、ジャケット買いしたシャックルトンなんですよ。
シャックルトンとか〈スカル・ディスコ〉のジャケットやってた、Zekeってイラスト、ちょっとメタルコアとかちょっと感覚的に近いものあったか(笑)。
R.Taguchiそっちの出身なので、ジャケット買いとしてはそういうのあったと思いますね。当時、大学進学で京都に住んでいて、京都では〈Meditations〉によく行ってたんですよ。で、その下の階に当時深夜しかやってないテクノ、ハウス専門のレコード店〈Transit〉ってのがあって、いまはもうなくなったんですけど。たまたま夕方空いてるときに出くわして、迷い込むように入って。そこから通うようになって、同世代のレコード買ってるDJとかイベントやってる子たちと出会って、その人たちと〈West Harlem〉でイベントやるようになったのがDJをはじめるきっかけだったんですよ。それが2012~13年とかですかね。
当時のポスト・ダブステップの流れでハウスが起点にはなっているみたいですけど、さらには古いダンス・ミュージックの音源とかも掘りまくってったという。
R.TaguchiずっとDiscogsみて、他の人より掘っていたと思いますね。いろいろなレコード屋のサイト見て、情報を集めてというのはずっとやってましたね。
あとレコード・バイヤーとして学生の頃に京都の〈JET SET〉にいたということですが。
R.Taguchiレコード屋で働きたいというのがまずはあって。ちょうど、その頃に〈JET SET〉でハウスのバイヤーを募集してたんです。だた、それは書類で落とされてしまって。でもその後〈West Harlem〉によくいたRILLAさんが〈JET SET〉を辞める話をしてて、担当していたテクノとベース・ミュージックのバイヤーの代わりを探してたんですよ。そこに立候補して入れてもらってと言う。それが大学3年生の時です。結果的に、当時いわゆるベース・ミュージック経由のUKのサウンドがハウスっぽかったんで、自分の知識もドンピシャに役に立ってという時代でしたね。
DJをやりはじめて京都で〈West Harlem〉を中心にDJとして活動して、その後、2018年頃に東京に拠点を移すと。
R.Taguchiそれぐらいですね。
きっかけは?
R.Taguchi東京でのDJとしてのブッキングが増えて、それで京都の〈JET SET〉を辞めて引っ越したんですけど、無職で1ヶ月ぐらいすごして(笑)。ちょうどそのぐらいに1TAさんに声かけてもらって、〈ウルフパック〉に入ることになって。でも、もともとはプレスでの採用で全然エンジニアとかではなかったんですけど。
DAWとかは触ってたにしろ、エンジニアとかそういうものを職業として意識することはそれまでなかったの?
R.Taguchi一応、大学進学の前に、エンジニアの専門学校とかも見学に行ったんですけど、正直あんまり刺さらなくて、普通に大学に入ったんですよね。
興味はあったと。
R.Taguchi仕事をするとかそこまでのことは考えてなかったと思う。興味はあったと思いますね。