newdubhall is a sound label since 2017. experimental dub music from the far east.

talking place 田口黎インタビュー:〈前編〉 ─音質の若き求道者──DJ、カッティング、マスタリング─

talking place#15
with Rei Taguchi

田口 黎

カッティングエンジニアとしてWolfpack Mastercut Studios、マスタリングエンジニアとしてSaidera Mastering & Recordingに所属。元レコード・バイヤー。Torei名義でDJとしても活動し、2023年にBLACK SMOKER RECORDSからMix CDをリリース。

代々木某所、とあるマンションの駐車場を抜けると秘密基地のようなスタジオの入り口がある。ここはアナログ・レコードの製造を請け負う、〈ウルフパック〉が所有する、アナログ・レコードのカッティング・スタジオ〈Wolfpack Mastercut Studios〉。スタジオと言っても、いわゆる演奏を録音するレコーディング・ブースはなく、巨大なレコード・カッティング・マシンと、カッティングのための最終的なマスター音源を制作するための機材が列んでいる。レコード制作にはいくつかの工程があるが、ここは簡単に言えば、現在では主にデジタルで作られたサウンド・データを調整し、物理的なアナログ・レコード・フォーマットへの変換=カッティングを行うスタジオだ。盤面にある溝=凹凸をレコード針がトレースすることで音楽を再生するアナログ・レコード、ここでは製品レコードの、その大元となるラッカー盤と呼ばれる特殊な盤に、その溝を刻みこんでいる。この盤が大元となって、数回の転写を経て、レコードをプレスし、複製するためのスタンパーと呼ばれる金型へと至る。いわば、実体を持たないデジタル・データを、物理現象としての音へと変換している場所とも言えるだろう。もちろん、この作業は実際のレコードの音に大きく作用する。

今回、本コーナーでは、このスタジオにてカッティング&デジタル・マスタリング・エンジニアして活躍している田口黎を取材した。関西や東京のアンダーグラウンドなダンス・シーンでは、ToreiというDJの通り名の方が有名かもしれない。レコード・バイヤーなどを得て、2010年代中頃、現在の関西ダンス・シーンのホットスポットとなっている京都の〈West Harlem〉などで活動を開始、その後は東京に拠点を移している。そんな彼は、現在、DJでの活動やレーベル〈Set Fire To Me〉の運営、リミキサーとして元シャムキャッツの夏目知幸のSummer Eye名義「求婚」を手がけるなど、20代後半ながら多岐かつマイペースに活動を行いながら、〈Wolfpack Mastercut Studios〉でのカッティング&デジタル・マスタリング・エンジニアに、さらには最近では名匠、オノセイゲン率いる名門〈Saidera Mastering & Recording〉にもマスタリング・エンジニアとしても所属している。本コーナーで何人かさまざまなサウンド・エンジニアを取材したが、また彼も他にはない数奇な経路で現在エンジニアの道を歩んでいると言えるだろう。 最近では、1TA主宰の国産ダブ・リイシュー・レーベル〈Rewind Dubs〉から最近リイシュー/リリースされた、関西ダブの秘宝、ブッシュ・オブ・ゴースト『Buddhists Tracks』やSoul Fireの7インチ『Rizla / Who is DirtyHarry?』のカッティングなどを手がけており、これらのリイシューからNewdubhall主宰、Saharaがそんな彼に興味を持ったことから本取材はスタートした。

インタビュアー:河村祐介 / 写真:西村満

スタートライン

もともと音楽に触れたのは、まずはDJをやろうというのが最初ですか?

R.Taguchiいや、そういうわけでもないんですよ。中学に入学して仲良くなった友人がラウド・ロックやメタルが好きで。その影響で。同時に親戚のおじさんがメタルが好きで、メタリカとかのCDを貸し付けられたり。そこで、そういう音楽に興味を持ってという。おじさんから貸してもらったCDはいま思ったらメタリカと一緒にエイジアン・ダブ・ファンデーションとかマシンドラムとかも入っていて。

たぶんコーンとか、ミクチャー・ロックとかいわゆるニュー・メタルとかのリスナーと、フェスに出るようなブレイクビーツとかリスナーがかぶってる世代の人って感じですかね。

R.Taguchiめっちゃコーンとかですね。

何年くらい?

R.Taguchiいま28歳で、当時12歳とかだから、2008年とかか。ギターもらって弾き始めて、まわりの友だちがベースとかドラムとかで一緒にコピー・バンドやりはじめて、もちろん遊びの延長線上としてのスタートでしたね。

その後ダンス・ミュージックとかに興味を見いだしたのはいつごろですか?

R.Taguchiメタルからの流れでメタルコア、スクリーモなど現行のモダンなやつが好きになって。それこそ国内のバンドならCrossfaithとかLOSTとかで。ただ途中からPitchforkなんかで他の音楽も掘り始めて。そこで色々な楽器とか、色々な音が入っているものがおもしろくなって。あとは大阪にK2レコードという、東京で言う、昔のジャニスみたいなアンダーグラウンドな音楽も扱っているレンタルのお店があって、そこに通って、とにかくいろいろなジャンルの棚にあるCDを片っ端から借りて、全部聴くみたいなことをやっていて。そのなかで最終的にクラブ・ミュージックにたどり着いたという感じですね。

自分の好きなものはコレなんだなと落ち着いたというか。

R.Taguchiそうですね。高校の頭ぐらいだったので、時代的には2010年代初期のポスト・ダブステップ全盛期という感じで。そのあたりを聴き込んでという。あとその周辺というか、チルウェイヴとかLAビーツとかそういう音楽が最新の音楽として勢いのあった時期で。

そのあたりからDJに興味を持ち始めるという。

R.Taguchiちょうどスクリームがダブステップからハウスに移行し始めた時期で。そこでハウス・ミュージックを知るというのがまずはあって。同時に当時好きだったクリスタルキャッスルズのコピーバンドをやるために買った打ち込み用のDAWなんかもあって、その延長でチルウェイヴっぽい曲を作ってみたりという、全部なんとなくですね。その後、本格的にクラブ・ミュージックを掘っていくとレコードでしか出ていない音源があることに気付くんですね。それで12インチを探しに行くと。そういえばはじめてレコードを買ったのが大阪の〈Newtone Records〉で、ジャケット買いしたシャックルトンなんですよ。

シャックルトンとか〈スカル・ディスコ〉のジャケットやってた、Zekeってイラスト、ちょっとメタルコアとかちょっと感覚的に近いものあったか(笑)。

R.Taguchiそっちの出身なので、ジャケット買いとしてはそういうのあったと思いますね。当時、大学進学で京都に住んでいて、京都では〈Meditations〉によく行ってたんですよ。で、その下の階に当時深夜しかやってないテクノ、ハウス専門のレコード店〈Transit〉ってのがあって、いまはもうなくなったんですけど。たまたま夕方空いてるときに出くわして、迷い込むように入って。そこから通うようになって、同世代のレコード買ってるDJとかイベントやってる子たちと出会って、その人たちと〈West Harlem〉でイベントやるようになったのがDJをはじめるきっかけだったんですよ。それが2012~13年とかですかね。

当時のポスト・ダブステップの流れでハウスが起点にはなっているみたいですけど、さらには古いダンス・ミュージックの音源とかも掘りまくってったという。

R.TaguchiずっとDiscogsみて、他の人より掘っていたと思いますね。いろいろなレコード屋のサイト見て、情報を集めてというのはずっとやってましたね。

あとレコード・バイヤーとして学生の頃に京都の〈JET SET〉にいたということですが。

R.Taguchiレコード屋で働きたいというのがまずはあって。ちょうど、その頃に〈JET SET〉でハウスのバイヤーを募集してたんです。だた、それは書類で落とされてしまって。でもその後〈West Harlem〉によくいたRILLAさんが〈JET SET〉を辞める話をしてて、担当していたテクノとベース・ミュージックのバイヤーの代わりを探してたんですよ。そこに立候補して入れてもらってと言う。それが大学3年生の時です。結果的に、当時いわゆるベース・ミュージック経由のUKのサウンドがハウスっぽかったんで、自分の知識もドンピシャに役に立ってという時代でしたね。

DJをやりはじめて京都で〈West Harlem〉を中心にDJとして活動して、その後、2018年頃に東京に拠点を移すと。

R.Taguchiそれぐらいですね。

きっかけは?

R.Taguchi東京でのDJとしてのブッキングが増えて、それで京都の〈JET SET〉を辞めて引っ越したんですけど、無職で1ヶ月ぐらいすごして(笑)。ちょうどそのぐらいに1TAさんに声かけてもらって、〈ウルフパック〉に入ることになって。でも、もともとはプレスでの採用で全然エンジニアとかではなかったんですけど。

DAWとかは触ってたにしろ、エンジニアとかそういうものを職業として意識することはそれまでなかったの?

R.Taguchi一応、大学進学の前に、エンジニアの専門学校とかも見学に行ったんですけど、正直あんまり刺さらなくて、普通に大学に入ったんですよね。

興味はあったと。

R.Taguchi仕事をするとかそこまでのことは考えてなかったと思う。興味はあったと思いますね。