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talking place 浅沼 優子インタビュー:〈前編〉 結び、広げる、音楽文化の翻訳者

talking place#08
with Yuko Asanuma

浅沼 優子

2009年からベルリン在住。半分オーストラリア育ち。
フリーランスの音楽ライター/通訳/翻訳家から、ことの成り行きでいつの間にかDJのマネージャー、POLY. Artistsのブッキング・エージェントを経て、settenを設立。音楽フェスティバルMAZEUMの共同設立・主催者。

さて今回本コーナーに登場願ったのは、浅沼優子──通訳、ライター、アーティスト・ブッキングなどなどさまざまな音楽の現場で活躍、そろそろベルリン在住も10年半ほどになるパワフルな存在だ。そしてなにより、ヒップホップにはじまり、テクノやハウス、その他、ドープな音であれば垣根無く貪欲に動きまわる、ハードコアなクラブのダンサーでもある。彼女との出会いは遡ること15年ほど前、著者が『remix』というクラブ専門誌で編集者。。というよりも丁稚として働きはじめた頃、海外アーティストへのインタヴューにおける通訳やライターとして知り合ったのが最初だ。その後は、そんな仕事はもちろんだが、アンダーグラウンドな現場で、とにかくさまざまなダンスフロアで出くわしていたという記憶がある。そして『remix』が休刊を迎えた2009年、彼女はベルリンへと移住した(休刊は直接、その移住には関係はないが、その頃、日本のクラブ・シーンの転換期だったのは間違いないだろう)。その後は、DJ Nobuの海外でのブレイクスルーのきっかけを作り、CompumaやBlack Smokerの面々などを海外へと紹介。また日本国内においても、〈Berlin Atonal〉の関連イベントを招聘するなどベルリンと東京の音楽カルチャーをつなぎ続けている。また現在は本文にもあるようにピンチやカーン&ニーク、ロウジャックのブッキングも務めるなどベース・ミュージック界隈とも遠からずな存在となっている。今回は昨年11月に開催された〈BS0〉にて行われたUndefinedとRider Shafiqueとのライヴを観て、そのサウンドを気に入った浅沼に、Undefinedのサハラを著者が紹介、後日「呑みに誘ったのですが、それならインタビューもお願いしましょう」というサハラのひとことからはじまったものだ。

さて、ひとつ留意していただきたい点は、インタヴュー取材の時期だ。インタヴューは、2019年年末に行われた。コロナ・ウィルスのパンデミック もなかった、そしてなにより、ある意味でこの出会いを用意した〈BS0〉主宰者のひとり、Disc Shop Zeroの飯島直樹も存命だった。たった数ヶ月前なのだが遠い昔のようでもある。それ故、現在急激に変わりゆく現在のシーンの置かれた状況などに関しては全く触れられてないのは勘弁いただきたい。

インタビュアー:河村祐介 / 写真:太田丞

for a Living

わりとダブやサウンドシステムとかがひとつキーワードになっているコーナーなんですが、サウンドシステムと言えば〈Red Bull Music Academy〉に掲載された『Killasan × Hard Wax 知られざる、サウンドシステムと友情の物語』という記事がありますよね(もともとは『Wax Poetic』誌の記事として出されたものがRBMAに転載された)。大阪のサウンドシステム、Killasanが流れ流れて、なぜかベルリン・テクノの牙城とも言われる〈Hard Wax〉(元ベーシック・チャンネル / リズム&サウンドのマーク・エルネスタスが運営)というレコード店にあり、そのお店主宰の名物ダブ・イベント〈Wax Treatmen〉でも稼働していたという。そういえば、いま浅沼さんはベルリンで〈Hard Wax〉のオフィスに間借りしているんですよね。

Yuko Asanuma実は、マークとちゃんと知り合ったのは、あのKillasanサウンドシステムに関する記事のための取材がきっかけなんです。あの記事は私がベルリンに移住して最初に書いた長文の記事なんですよ。〈Hard Wax〉自体は良く行っていたし、店員をやっているピート(Substance / Scionなどの名義で活躍)も良く知っているんだけど。マークという人は、いつもお店に出ているわけではないからあまり知り合う機会もなかったんですよ。顔もあまり表にさらしてないから、お店やクラブにいても気づかないし。最近は自分がプロデュースしているセネガル人のバンド、Ndagga Rhythm Forceのプロモーションのためにはインタヴューとかも答えているけど。

基本、べーチャン自体、ネット以前、ネットがあっても基本ミステリアスな存在でしたからね。

Yuko Asanumaそう、でも2009年頃というのはまだ顔も知られていなくて。Killasanの取材記事のときも、サウンドシステム以外のことはなにも語らないという話なら取材を受けるという条件だったし。でも当たり前だけど、その通りにやって。それで確認なんかも丁寧にやったので、あの記事を結構気にいってもらったぽくて。その2年後くらいかな、マークがAM1というスタジオ用のミキシング・コンソールを開発したんですよ。私が日本の『サウンド&レコーディング・マガジン』で書いていることを私が話したんだか、どこかで知ったんだかでマークが「渾身のミキサーだから『サンレコ』で掲載してもらいたい」と言われ、それで取材記事を作ったんです。その記事も気にいってもらったようで、『Groove Magazine』にもドイツ翻訳されて転載されて、その後も宣伝用のパンフレットにも掲載されたりと。そのなかでマークといろいろやりとりしていくうちに信用されるようになったんだと思う。

なるほど。

Yuko Asanumaそうこうしているうちに、とあるグローバル企業のバックアップで立ち上がるウェブ媒体の話があったんですよ。そのローンチに『VICE』みたいなビデオ・ドキュメンタリーのシリーズを何本か用意するという話で。そのなかのひとつのコンテンツとして、いろいろな人が理想のサウンドシステムを作るというシリーズがあって。そのなかのひとりにマークがいて、それはファンクション・ワン(多くのトップ・クラブなどで使用されているサウンドシステム・ブランド)を作ったエンジニアのトニー・アンドリュースが、マークの理想のサウンドシステムを共同開発するという企画。

うわ、それはすごい。

Yuko Asanumaで、実際にスポンサードしている企業がお金を出して、それを作る過程をドキュメンタリーとして録っていて。。マークの「理想の音」に影響を与えた人たちに取材をしながらインプットしていくというストーリーがあって。そのうちのひとつがKillasanのK-Bossさんだったんですよ。で、その日本での取材を通訳・コーディネートを任されて、最終的にはシステムを管理していたエンジニアさんのところまで行って設計書まで取材をして。だけどこの企画というか媒体自体が企業の方針転換でなくなってしまって。実はこのドキュメンタリーとサウンドシステム自体も完成していたんだけどお蔵入り。。

え、ファンクション・ワンをマークがカスタマイズしたシステムも完成していたと。

Yuko Asanumaそう。しかもマークのところにあって。このサウンドシステム自体の存在を知っている人が少ないんだけど、最近になってその存在が浮上してきて。。 マークの出身地がドイツのブッパタールというところで彼の親友がクラブを作ることになって。しかも、彼はマークの影武者みたいなそっくりさん(笑)。とにかく、そこにスタックされる予定でいま工事中、もともと防空壕だったところとか。オープン予定は、2020年の秋か冬ぐらい。ファンクション・ワンは、その設計思想的にいわゆるサブベースの周波数は出ない作りなんですけど、今回はマークの発注で、それよりさらに下の音域が出るサブ・ウーファーを作り出したというもので。

うわ、それは聴いてみたい。。 と、いきなり前段が長くなってきましたが、いま〈Hard Wax〉とオフィス・シェアという話からでした。

Yuko Asanumaまあそういう経緯でわりと信頼関係ができていたところに、Hardwaxの店舗の上の事務所スペースが半分空くから入らないかというお誘いが来て。とはいえ、そこにひとりで入ったわけではなく、それまでオフィスをシェアしていた友人と入ることになったんだけど、その友人がPOLY. Artistsっていうブッキング・エージェンシーをやっていて。前のオフィスはもうひとり、当時、シェア・アパートで一緒に住んでいた友人もいて。その人はまたもOdd Fantasticっていうブッキング・エージェンシーを経営していて、その3人でシェアしてたんですよ。Odd Fantasticはイケイケで、いっきに大きくなったので途中でもっといいところに引っ越してしまってんですね。それもあって、残されたそのPOLY. Artistsの友人と〈Hard Wax〉の上に引っ越したんですよ。もともとの家賃の2倍ぐらいになったんですけど、まぁ、それで気合いを入れて頑張ろうと。ちょうどそのぐらいの時期、〈Berlin Atonal〉と関わっていて関連イベントを東京や京都で企画して。そこには現地のブッキング・スタッフも来ていて、その日本でやったイベントでBlack Smokerの面々とか、行松陽介くんとか、コンピューマさんのプレイを気にいって、ベルリンの方でもブッキングされてというのが2017年、2018年かな、2年ほどあって。その流れで、そうした日本人アーティストのヨーロッパでのブッキングを担って、〈Berlin Atonal〉のブッキング・エージェンシーに入らないかという話があって。

それまではフリーで手伝っていたのをっていう話ですね。

Yuko Asanumaでも、〈Berlin Atonal〉という看板が前に出てしまうのと、条件面でもあまりよくなくて。。 で、もちろん日本の個性豊かなアーティストたちにヨーロッパでやってもらったら反応も良くて。彼らのチャンスがなくなるのは良くないかなと悩むところはあって。と、それがほぼ〈Hard Wax〉にオフィスを移すのとほぼ同じ時期、であればそのシェアする友人に、その日本人アーティストたちも引き連れてPOLY. Artistsに入るのどうかしら。。 という話をしたらそうなりましたという。それが2年前。ただし、日本のアーティストばかりだと、どうしてもエア代をギャラから差し引かれる関係もあって、あまり良い収入にはならないわけですよ。だから、他にPOLY. Artistsでやっているヨーロッパのアーティストのブッキングをやるという。まずはKahn & Neekがいて、その後、2019年からPinchも。あとはLow Jackも。そして、さらに紆余曲折あり、今年から自分で独立してsettenというエージェンシーを始めることになりました。。

あれ、Nobuさんは?

Yuko AsanumaDJ Nobuはマネージメント。ブッキング自体は別のエージェントにお願いしていて。その間に入るというか。Nobuくん自体、すでにヨーロッパでは規模感とかがすごいのでそういうのが得意なエージェンシーに任せているんですよ。ヨーロッパのシーンはシーンでいろいろ隆盛があるので、「どのフェスティヴァルにいま出るのがいいのか、どのフェスに出るとちょっとダサく見えるのか」とか、そういう部分でのアシスタントというか情報収集~ブランディング戦略という感じですかね。もちろん最終的になにをやるのかというのはNobuくんがジャッジするんだけど。

いま仕事としてはそれがメインですよね。昔みたいに日本の音楽媒体の通訳仕事とかほぼなさそうですし。

Yuko Asanumaいまはこのブッキングが主たる収入かな、でもとにかく食べれるようになるのは大変ですよね。あとは日本の『サンレコ』の連載コラムと、たまに現地のスタジオ取材とかね。でも日本に発信するようなものも含めて原稿もまたガンガンやっていきたいんですよね。そういう意味では去年RAでやった〈Em Records〉の記事とか一昨年Red Bull Music Academy Dailyでやった〈Black Smoker〉の記事とかはやりたいものができたと思う。