newdubhall is a sound label since 2017. experimental dub music from the far east.

talking place Dayzeroインタビュー:〈前編〉 ─そのサウンドで自らを海外へと導いたダブステップの気鋭─

talking place#16
with Dayzero

Dayzero

Producer/DJとして活動。
Dubstepを中心に楽曲制作を開始。現在Dubstepのスタイルを軸に、自身のルーツでもあるDubやHipHopといった音楽の要素を自由に取り入れ、独自のサウンドやビートへのアプローチを深めた楽曲を制作している。DJとしてのパフォーマンスや、自身の作品の再構築と即興的な表現をとりいれたライブセットも行なっている。制作された楽曲は"Livity Sound","ZamZam Sounds","Trekkie Trax","Deep,Dark & Dangerous"などのレーベルよりリリースされ、Truthなど多数のアーティストの楽曲のRemixや、アーティストや映像作品にむけた楽曲提供・共同制作を行う。BenUFO,Peverelist, Om Unit, Al Wootton, YoungstaやHatchaなど、BassMusicを中心に様々なDJによるサポートも受けており、世界中のクラブやDJ MIX、BBC Radio1やRinseFMなどのラジオ放送でも楽曲がプレーされている。また国内外問わずパフォーマンスを行っており、The Star Festival(京都)やOutlook Festival(クロアチア)といったフェスティバルにも出演した。

今回、本コーナーで取り上げるのは、海外のレーベルからも多数のリリースを行っているダブステップ~ベース・ミュージックのプロデューサー、Dayzero──ハマダツヨシのプロジェクトだ。
2015年、US〈Zip Sound〉や〈Phantom Hertz〉といったレーベルからのデジタル・リリースを皮切りにさまざまなレーベルを横断してリリースをスタート。2018年には、UKのまさにダブステップのオリジネイターとして双璧をなすふたりのDJのレーベル、DJ Hatchaの〈Hatched〉、DJ Youngstaの〈Sentry Records〉からリリースするなど、そのサウンドはダブステップの本場というか、その震源地でも認めらているということだ。そしてダブステップ以外にもさまざまなジャンルを横断する現在のモダン・ダブ・サウンドの牙城とも言えるアメリカはポートランドの7インチ専科〈Zam Zam Sounds〉から作品(2020年と2022年)もリリースしており、本ページの主催、Undefinedともある意味でレーベル・メイトでもある。

そして2022年には、インタヴューで語られているように自身のルーツとも言えるブリストル・サウンド、その進化形となるダブステップ~ベース・ミュージックを牽引するPeverelist率いる〈Livity Sound〉のサブ・レーベルで、よりレフトフィールドなサウンドへと特化した〈Dnuos Ytivil〉より「Daruma E.P.」をリリースするなど、まさに多岐に渡るダブステップ~ベース・ミュージックのトップ・レーベルからリリースを重ねている。こうしたレーベルの羅列を見るだけでもこのアーティストがオリジナリティ溢れるサウンドを生み出し続けていることがわかるだろう。
今回は都内某所にある、秘密基地のような彼のスタジオへと潜入し、念願だったというブリストル~ロンドンでのプレイも行ったDayzeroに、これまでのキャリアに関する話を訊いた。

インタビュアー:河村祐介 / 写真:西村満

はじまり

はじめに音楽を意識したのっていつ頃ですか?

Dayzero原体験といったらヒップホップになるかな。といっても、自分が小学校ぐらいの頃、Dragon AshとかRIP SLYMEとかが普通にチャートでヒットしてて。あとはもっとJ-POP寄りにORANGE RANGEがいたりとか、ミクスチャーじゃないけどそういうラップを取り入れたバンドが一定数流行ってた時期だと思うんですよ。そういうポップなラップですね、子供が漠然と「このラップってやつがかっこいいな」という感じで。そうやって音楽を聴き始めて、中学2年生の頃に「洋楽というのがあるらしい」ということに気付いて(笑)。地元は兵庫県のすごい田舎の方だったんですけど行動範囲内にTSUTAYAはあって。当時よくあったコンピレーションなんかをそこの洋楽コーナーでレンタルで聴いて。そうしていくうちにエミネムの『8 Mile』のCDに出会って、映画も観て。「これが本当のラップらしい! これヒップホップって言うらしい!」みたいな感じで、そこからヒップホップのコーナーのCDをめっちゃ借りはじめて。それが音楽にもう一段のめりこむきっかけでしたね。

そこでヒップホップにのめり込んで、その後は?DJをはじめるとかですか?

Dayzero僕はパフォーマンスも音楽を作り出してからはじめた感じで、DJはもっと後ですね。中高生のときに、まずはヒップホップをずっと聴いていて、途中ぐらいからなんかラップよりも、トラックの方が自分にはおもしろいかも、みたいな感覚になって。「バック・トラックはビートメーカーという人たちが作ってるらしいぞ」ということまでにはたどり着いて。当時よく聴いてたのがMSCとかTha Blue Herbとかの作品で。その頃からどこかインストに注目するようになって、そこから徐々にいわゆるダンス・ミュージックとしてのビートに興味を持ち出したのがきっかけですね。アブストラクト・ヒップホップとかからいろいろなダンス・ミュージックを聴くような感覚でどんどんジャンルを広げていって。

DJではなく音楽を作り出したのはなにかきっかけがあったんですか?

Dayzero学生時代にギターを持ってたり、DTMとかすこしいじってたんですけど、それは「こうやって音楽って作るんだ」ぐらいのレベルでしたね。いまにつながる音楽を本格的に作ろうと思ったのは、実はもっとあとで比較的遅いかも。22、23歳ぐらいの時で、学校を卒業した後に一端就職したんですが、すぐにその会社を辞めて、そのタイミングで「これは音楽を一回本気でやってみよう」と思うようになりました。だから実際のスタートはそのぐらいですね。

でもそのときに明確に目的が定まったという。

Dayzeroそうですね。作りはじめるのが遅かった分、目標が定まっていたというか。「こういうジャンルの音楽で、こういう風なアプローチをしたら面白い作品ができるんじゃないか」みたいな。最初からそういう視点で作りはじめることができたと思いますね。

シーンとかいまある音に対して分析的にやりたいことを選んでという。

Dayzeroそうですね。

ヒップホップからダブステップというのは?

Dayzeroさっきも出ましたがMSCとかをよく聴いていて、周辺で活躍されていたDJ BAKUさんとかGOTH-TRADさんとかを知って、いわゆるそういう日本のアンダーグランド・シーンも聴き始めて。そのなかで大学生の時ぐらいからダブステップを聴きはじめて。当時、ダブステップもそれなりにメジャーになりはじめた瞬間というか、その音楽が生まれて、はじめに流行りだしてメディアでも取り扱われるようになった頃で。ブリアルとかがいる一方、メジャーなところではスクリレックスが出てきたりしたころで。

2000年代末とか2010年前後とかですかね。

Dayzeroビートの方が好きになっていくなかで、やっぱり変わったビートが好きで、それでいろいろ探しているなかで、ヨーロッパのヒップホップに出会って。「なんかこの人たちは、アメリカとは違うことをしようとしているな」という。そのなかで行き着いたのかポーティスヘッドとかマッシヴ・アタック。その後、それがブリストルという街で生まれたサウンドだということを知って。当時、そうした過去のブリストル・サウンドからダブやトリップホップを理解しはじめたら、リアル・タイムで聴いていたダブステップが、ある意味でその時代のトリップホップなんじゃないかと気付いて。基本的にはダブステップはUKガラージの流れの人がやっているというのも当時知ったんですけど、逆にアブストラクト・ヒップホップから来た自分の感覚でダブステップをやったら、違う感覚のビートでできるんじゃないかなと思って。そのあたりが本格的に音楽、特にダブステップを自分で作ろうと思ったきっかけだと思います。もうひとつダブステップを自分で作りはじめたきっかけとしては、サウンドシステムの体験も重要だと思います。当時、僕は岡山に住んでいて、現地でサウンドシステムのイベントが多少あって。そこでダブステップをサウンドシステムで聴いた時に、ベース・ミュージックというものを体験として理解したというか。それで「これやりてぇ!」みたいな感じになって、ダブステップに向かうきっかけになったんだと思います。

自分の好きなブリストル・サウンドやアブストラクト・ヒップホップとダブステップの親和性を理解しつつ、そこにさらにサウンドシステム体験が加わることで、自分が作りたいサウンドが明確になったという。

Dayzeroそうですね。

ファースト・リリース

いろいろな海外のレーベルからリリースをしてますが、そのきっかけは?

Dayzero岡山時代にまわりで遊んでいる友だちにデモのCD-Rとかを渡していて。なかにはすでに海外のレーベルからリリースしている人もいたんで「作ってるんだったらレーベルとかに送った方がいいんじゃね?」みたいに言われて、そこではじめて「え、そうか、レーベルに送るんだ!」みたいな(笑)。それで経験者に訊くところからスタートして。ともかく「送る音楽があればいいから、あとは別に簡単だよ」と教えてもらって。自分が気になるレーベルに、とりあえず自分の音を送ってコミュニケーションをとってみるというのではじめました。

最初にリリースが身を結ぶのは?

Dayzero2015年とかですね。「こういうサウンドだからここに送る」とか、いろいろ自分なりに分析してリストを作って送っていて。ちょっと理系的というかそういう分析的に要領よく考えるのは結構自分では得意だと思っていて。それもあって海外からリリースしたのは、本腰で音作りをスタートしてから結構早かったと思うんですけど。でもすごい数のレーベルに送ってましたね。

リリースされたときは、どう思いました?

Dayzero自分が家のなかで手探りで作ってたものが、世界にダブステップを発表していこうと思ってる集団にとって、商品として広める価値があるって判断されたんだなって思いましたね。別にそんな大きいレーベルじゃなかったとしても、俺の作ってた曲が価値のある曲になってたんだなと。

Karnageさんは、レーベル〈Vomitspit〉も一緒にやったり、アルバムを作ったりとか、キャリアのなかで重要な関わりかなと思うんですけど、出会いはどうだったんですか?

DayzeroKarnageは、中学生ぐらいのときからアメリカに住んでて。かなり若いときからDJとか音楽活動をしているようなタイプで、すでに自分がダブステップを本格的に作りはじめたときには、彼のことはなんとなく知ってて。彼と出会ったのはメールを通じてなんですが。ダブステップ界隈あるあるなのかわかんないんですけど、曲をメールで送りあってコミュニケーションをとるみたいなことってよくあって。知らないDJとかに対して「はじめまして日本で音楽やってます。これ僕の出てない曲です、よかったら聴いてみてください」的なメールを送り合うという。たぶんこれはダブ・プレートを交換するみたいなニュアンスから来てるのかもしれないですね。彼もその流れで知り合った感じで。

現場ではないんですか?

Dayzeroそうですね。そうやってメールでやりとりして出会った人のひとり。だからはじめて実際に会うのは一緒に曲とか作り出して何ヶ月も経ってから。ちょうど日本に帰ってくるタイミングがあったので遊んだのが最初。

彼とコラボする理由みたいなものはあるんですか?

Dayzeroやっぱり一番は音楽も含めて感覚が合うってところ。例えばふざけて喋ってることだったりとか、遊んでることだったりの内容の共通感が普通に友だちとして仲良くなれたというか。あとはキャリア的なタイミング、例えば初めて自分のレコードが出ますみたいなタイミングがほぼ一緒だったりとか。そういう部分でも見てるビジョンが結構近くて、それで一緒に活動していく流れになったっていう感じですね。