newdubhall is a sound label since 2017. experimental dub music from the far east.

talking place eastaudio soundsystem Tocciインタビュー:〈前編〉 シーンが生まれる場所へ──サウンドシステム・カルチャー

talking place#06
with Tocci

Tocci ( eastaudio soundsystem )

サウンドシステムカルチャーを踏まえた音響プランニング、施工を行い、その為にVoid AcousticsやRC AUDIOなどの代理店業務をスタートさせる。また、自らのNORMブランドで開発、製造するスピーカーで組み上げたeastaudio sound systemを所有し主にベース、DUB系のイベントをサポートし世界基準の”鳴り”を日本で実現させるべく日々精進中。

ヨーロッパの最新サウンドシステム事情を、まさに“体感”として日本に紹介している、eastaudio soundsystem。Sound Slugger、Outlook Festival Japan Launch、そしてTokyo Dub AttackやGlobal Dub Session、BS0といったベース・ミュージック / ダブに特化したイベントにおいて、そのすさまじいほどの低音の音圧と驚くほどクリアな音場を作りだし、東京のシーンに衝撃を与え続けてきた。さらにはこうした最新のサウンドシステムの音響技術から授かったその英知を用い、クラブサウンドに特化したサウンドシステム・プロデュース・チーム、Tokyo Soundsystem Laboratoryとしても活動。こちらもさまざまなフェスやイベント、さらにはクラブの音響などを手がけ、その活動は文中にもあるようにアジアの諸国まで及んでいる。また、いま世界中で注目を集める音響機器ブランド、Void Acousticsの日本代理店も務める。

ジャマイカン・ミュージックの発展はサウンドシステムとともにある。プロデューサーやエンジニアたちの実験は、サウンドシステムの観衆によってジャッジされ、そしてサウンドマンたちがそうした音を求めることによって、方向付けられてきた。ダブはまさにそうしたサウンドシステムを媒介にした、受け取る側、作る側の共犯関係によってチューンナップされてきたサウンドの秘密だ。さらにそこに技術的な進歩(スピーカーを帯域ごとに分けるチャンネル・デバイダーやミキシング・コンソールの多チャンネル化など)も加わることで、音楽を進化を加速させてきたのだ。技術の進化とダンスに集まる人々、そしてそれらをとりもつエンジニアとサウンドマン / プロデューサーたちの探究心がそれこそダブを生んだのだ。そしてそれはDJカルチャー由来のダンス・ミュージック全般に言えることでもある。音の快楽とそれを支える技術の進歩が生み出す新たな音楽のスタイル。それこそ、eastaudio soundsystemのすさまじいそのサウンドの感覚は、自ずとそこで新たな響きが生まれてくるその震源地になり得ることは想像に容易い。eastaudioの成り立ち、そしてサウンドシステム・シーンのいまに関して、eastaudio代表のtocciこととちぼりさとるに話を訊いた。

インタビュアー:河村祐介 / 写真:西村満

eastaudio

まずはどのような形でeastaudioの成り立ちをお教えいただきたいんですが、前にResidental Adviserの鼎談「空間のサウンドデザイン」で話されていたのはランキン・タクシーさんのタクシー・ハイファイに関わるというか、そこがスタートだということですが。

Tocci大学進学で東京に出てきてすぐだから1991年とかですね。当時、学生だから時間はあったんで手伝いはじめたというか。僕が入った当時のタクシー・ハイファイは佐川修さん、Gucchiさん(山口'Gucci'佳宏)、Chappi(現Chapp Ranks)さんといった方たちが次々卒業してしまった時期で(笑)。あ、Gucchiさんは、鷲巣(功)さんがやっていたランキンさんの事務所、〈オンド〉のスタッフという感じでまだ所属していた時期だったのかな。とにかく、システムを運ぶ人間がいないとサウンドシステムって成立しないので、そこで手伝ったというのが最初ですね。そんなにお客さんもいなかったんだけど、いつもいるから顔覚えられて「お前、運べ」って声をかけられ、そこからタクシー・ハイファイのクルーになっていくという。当時タクシー・ハイファイは代々木のチョコレート・シティでレギュラーをやっていて。ランキンさんが大阪のFM802に出ていて、東京に確実にいないっていう日にレギュラーをやっていたという(笑)。

そこでサウンドシステム運び人生がはじまると。

Tocciそう。でも仕事となるとまた別で、その後、大学を卒業して、邦楽の音楽制作会社にはいるんですね。そこはリンドバーグをやってた事務所でもあって、かのBOØWYの制作をしていた月光(恵亮)さんという方がやっていた会社に新卒採用で入ったんですよ。〈タクシー・レコード〉というレーベルを持っていて……「あれ、このタクシーってアノ、タクシー?」 という感じで、やっぱり「スライ&ロビー」って書いてあって。どうやら当時、日本でライセンスというか事務所的にスラロビが籍を置いていたというか、そういう会社で。

まだ日本の音楽業界でそういうところにお金が流れてた時代という感じですね。

Tocciそうそう。ちょうどその年が東京ビックサイトができた年で、最初のこけら落とし公演的なものが2ヶ月間、すべて音楽イベントだけだったんですよ。スラロビがジミー・クリフ、ルチアーノ、シズラを連れくるというイベントをその会社で制作していて。で、いきなり「お前レゲエ詳しいなら手伝ってくれ」って言われて新卒で入って。「レゲエ、茨城熱いっすよ」とか言って、土浦とかにそのイベントのフライヤーまきにいったり。でも、その会社はその後やることがなくなって、結構すぐに辞めて。当時、その会社の暇な部署を利用して、フライヤー作ってて、MaL(PART2STYLE)くんとかと、イベントとかをやってた時期もあって。

それが1990年代前半って感じですよね。

Tocciそうですね。次に入ったのが、もと芝浦〈Gold〉のスタッフの方の会社で、クラブ・プロモーションを引き受ける会社。1990年代中頃になっていくと、当時Misiaが売れはじめて、R&Bブームが来て、avexがなんでもアナログ12インチを切るみたいになってて、音楽業界でクラブ・プロモーションがはじまるんですよ。そのアナログとかフライヤーをクラブに蒔くとお金がもらえるっていうプロモーション。当時日テレでやってた「CDグルーヴ」っていうavexの番組のチャートがあって、そこに入っている50人のDJがいて、そこにガンガン配って「良かったらお願いします!」ってやる仕事。あとは、知名度があがってきたアーティストのクラブ・ツアーのブッキングとか制作。当時は、人脈的にそういうことをやれる会社がうちしかなくて。それから、その会社も状態があまり良くなくなっていって、取引先の人からも「お前、会社作って出ていった方がいいんじゃない?」みたいに言われることも多くなって、独立。それで作った会社が、eastaudioなんですよ。だから最初は音響とかじゃ全然なくて、クラブ・ツアー制作とプロモーションの会社、あとはDJのブッキングとかをやる、言ってしまえばイベント制作会社みたいな感じというか。当時はずっとm-floのツアーとか手がけたり、あとはケツメイシとかやってましたね。そこからeastaudioでイベント制作を10年ぐらいやってたんですけど、自分がちょっとおもしろくなくなってきちゃって。クラブ関係は、お金払われないとか多すぎて、ビジネス的にきついなと(笑)。

なるほど(笑)。

Tocci当時、そんな仕事のなかで、苗場のスキー場で、クラブをやっていたスペースが空いていて、お店をやらないかというお誘いがあって。ただ音響設備が揃ってなかったんで、ランキンさんのところにいって余ってるスピーカー、ウーファーとか融通してもらって、あとはツイーターだけ自分で用意したのかな。アンプも仲間の音響屋から中古で譲ってもらって。そうやって寄せ集めた機材で作ったのがeastaudio soundsystemなんですよ。で、その後、そのお店もなくなって、サウンドシステムは倉庫で眠ることになって。代々木公園でやってたSound Sluggerで鳴らしてたシステムが実はそれなんですよ。それが2010年前後とかかな。でも、公園での音出しも厳しくなって、そのサウンドシステムもまた倉庫に眠ってる時期が2年ぐらいあって。「あのスピーカー眠ってるの?」とか友だちに言われたりしてたんだけど、同じ頃、MALたちから、クロアチアの〈Outlook Festival〉がすごいんだよねって言われていて。それで2011年に〈Outlook〉にいって、度肝を抜かれたという。

どこに一番びっくりしましたか?

TocciDIYのシステムが普通のPAスピーカーと並んで使われてるところでしたね。eastaudio sounsystemもちゃんと作り直そうというのはやはりクロアチアの影響が大きい。だって日本には、そういういわゆるコンサートとかのPA屋さんと、サウンドシステム、どっちもやっているような会社はなかったから。手作りのシステムでもお店のレセプションパーティーとかでシステムが組んであって、それが仕事になるっていう。あとはVoidのスピーカーも、ちょうどSushi AudioのMr.Sushiことコトブキから「ここのドライバーがむちゃくちゃいいらしい」って紹介されて、すぐにコンタクトとって買って。そこからeastaudioを音響事業の方にシフトしようと。Voidの日本代理店をやることと、サウンドシステムがあって、その先にPAがあるというような、そういう流れで存在している音響会社がこれまでなかったから。東京はこれだけでかいし、そんな会社1社しかないのからできるんじゃないかなって思ったんですよ。かなりアバウトな希望的な観測の下で、いまの業態に(笑)。