Wax Alchemy
もともとサウンド・エンジニア的なものになるというのはあったんですか?
Wax Alchemyいや、はじめはそういうわけではなくて。イギリスに留学していた時期があって、当時一緒に活動していた人間がマスタリング・エンジニアのアシスタントになったんですね。自分もそこをちょっと手伝うようになって。自分のまわりにはDJとかプロデューサー、トラックメイカーとかがたくさんいて、レコーディングを手伝うというような。それは、いわゆる“仕事”という感じではなく、学生のバイト、小遣いを稼ぐようなもので。それから帰国した後に、都内のマスタリング・スタジオにインターンとして働かしてもらうことになって……でもそれは何ヶ月か行っただけで辞めて(笑)。さらにその後、The Yellow Monkeyのいた事務所に拾ってもらいました。そこでのPAとしての仕事がちゃんとした音楽業界での初めての本格的な仕事という感じですね。そこで所属アーティストのマニュピレートやレコーディング、プリプロの部分でスタジオワーク、ライヴPAとか、なんでもやってましたね。
そこが音まわりのエンジニアのスタートとして、そこからカッティング・エンジニアへ?
Wax Alchemy当時、自分がいたプロダクションはレストランというかハコを持っていて。自分もDJをやっていて、そこでイベントを担当することになって、そこでデブ・ラージさんと知り合うことになるんです。そうこうしているうちに「1枚だけレコードをカッティングできる場所を知らないか?」っという相談を受けて、調べて……調べすぎちゃったんでしょうね。カッティング・マシンを個人で買えるというルートを見つけてしまって(笑)。当時、調べたなかではアメリカとかヨーロッパ、あと国内にもいくつかワンオフでカッティングできるところがあったんですけど、デブ・ラージさんに「ここが良い」と言える自信を持っておすすめできる場所はなくて。大御所のプロデューサーさんにそう言われたら、だったら自分で納得のいくものを作ろうとなってしまって。そこでドイツに飛んで、マシンを個人輸入してというのがスタートですね。
そうなんですね、そのひとことがなかったらここはなかったという。
Wax Alchemyそうですね。そのあともデブ・ラージさんからKemuri ProductionのYasさんとかMighty CrownのCojieさんとかも紹介してもらって。あとは当時、デブ・ラージさんを担当されていたレーベルのディレクターが、Goth-Tradさんも担当していて紹介してもらって…… そこからGoth-Tradさんのダブ・プレートを作りはじめて、今度はそこから海外のダブステップのアーティスト、MalaとかV.I.V.E.K.とかからもオファーがくるようになって……という。プロダクションの仕事をしながらカッティングの仕事も並行してたんですが、そうやって片手間でやるには難しいほど依頼が多くなってきてしまって、自然と独立という。
それにしてもカッティング・マシンの購入ルートに行き着くというのがすごいなと。
Wax Alchemyエンジニアという仕事上、いろいろ調べるということがとにかく好きなんですよ。片っ端から、有象無象の情報を拾っていってそこでたどり着くという。
ちなみにカッティング・マシン自体はいくらぐらいなんですか?
Wax Alchemy安いといえば安いですよ。ベーシックなスターター・キットは3000ユーロちょっとなので、いまの相場だと40~50万円で買えるんですよ。でも、そのままだと音が悪いのでまずはケーブリングに予算はかかってますね。うちは変な話、アコースティック・リバイブさんでそろえたケーブルの方がカッティング・マシンの実機より高いですね。
Wax Alchemyは、デブ・ラージさん、そしていまのベース・ミュージック的なところにつながるGoth-Tradさんが初期において重要なアーティストという話だと思うのですが。
Wax Alchemyデブ・ラージさんは、当時はどちらかというプロデューサー業から退いていて、音源を作りたいという感じではなくて…… 当時は和モノのレア・グルーヴにハマっていて、それをDJ用にエデットしてダブにカットしてということをやっていた時期ですね。当時の印象としてはとにかく納得いくまでやるというところ。全く妥協がないんですね。
カッティング自体もまだノウハウもなくて、かなり試行錯誤ってことですよね。
Wax Alchemyカットして、そのまま自分も何回も現場に遊びに行って音をたしかめて。毎週のようにスタジオに来てカッティングしてたので「この前カッティングしたあの盤の音はこうだったから、もうちょっとここをこうして欲しい」というのを受け手、それを毎回反映させていって、自分もノウハウを蓄積していきました。当時はデブ・ラージさんが一番のお客さんだったんですけど、当初は「俺がお客さんを連れてくるから一般開放するな」とまで言われていて。現在のようにウェブで外から受注できる形ではなくて、デブ・ラージさんからの紹介だけでやってたんですね。ある意味で、一番はじめに相談されて、デブ・ラージさんに貢献したいというところでこの機材を買ったんですが、「客は俺が連れてくる」という感じで。最初の1年~2年ぐらいはホームページもなにも持たずに、紹介者だけでやっていて。YasさんにしてもCojieさんにしても、最初の2年はトップ・オブ・トップの人とだけ仕事をしていたという感じですね。でも、それによってもらえるアドバイスやレスポンスは普通にやっているよりももちろんすごい的確ですよね。