音質の追求
カッティング・エンジニアとか、音に対するエンジニアリングに興味を持つきっかけとなる出来事はあったんですか?
R.TaguchiやっぱりDJ用のレコードのリッピング(デジタル化)は大きいですね。レコードを録音し、調整して、DJでかけて、クラブでどう鳴らすかにこだわりだして、音に対して真摯に向き合いだしました。
比較的いまのDJの人は自分でやっていると思うけど、マスタリングのその領域まで追求している人って他にいないというか。
R.Taguchiそれをはじめたのは京都時代の終わり頃、レコード箱を2~3箱持って夜行バスで東京に来るのが辛すぎたというのがまずあって。あとは平日DJバーとかで三時頃に営業が終わって、タクシーで帰るお金もなくて、ギャラも出ないしという状況でという。デジタルなら自転車で移動はどうにかなるしという。
そこでやるなら音が良い方が良いと研究しはじめたということで。
R.Taguchiとにかく音が良ければ正義というか、音が良ければDJの選曲でぶち上げなくても成り立つから。そこは昔からだいぶ気にしていて、パーティーのリハとかもちゃんと音を作り込んでやるとか、すごく気をつけていたので。
もともとDJをやる上での信念として、そういうものが核にあったから、どんどん改善していく方向に興味を持ったというか。
R.Taguchiそうですね。音質というか、そもそもクラブに行って「出音が悪くて」とか、「音がでかすぎて」とか「音が痛くていれない」というのがとにかく嫌で。
その手の悪い要素は自分がやるパーティーでは排除したいということですよね。
R.Taguchiそういうことだと思います。
そうした要素のひとつとして、自分でレコードからリッピングしてデジタルの音質も良くしたいと。
R.Taguchiそうですね。
そこからマスタリング用のプラグインなり、実機の機材なりを買い集めて実験していくという。まだそれはエンジニアの領域というよりも、DJの延長で、その音質を良くしていくという。
R.Taguchiそこからですね。
エンジニアへ
その先のスタジオ・エンジニアとか、カッティング・エンジニアになろうと思った、そのきっかけは?
R.Taguchi〈ウルフパック〉に入って、声を掛けてもらったというタイミングがあって、その後、働いているうちに〈ウルフパック〉が、このカッティング・スタジオ〈Wolfpack Mastercut Studios〉の部署を作るという話があって、そこのアシスタント・スタッフを探しているという。そこで立候補したというのがきっかけですね。最初はテクニックというよりも本当に機械的なことをやってました。カッティング・マシンは古い機械なんで、レコードをカッティングするまでにセッティングとかが大変で。あとはマスタリングとは別の領域での、メンテナンスとか機械的なことを学ぶところからはじまって。それを上司の木村(隆司)さんに教えてもらって、実際にアシスタントとして手伝って、そこからカッティングに関して覚えていくという。だからカッティング・エンジニアになりたいと思ってこの会社に入ったわけでもないですし、そもそもレコード買ってたけど、そういう行程にすごい興味があったわけでもなく。むしろ考えたこともなく。
ある意味で最初は能動的というよりも受け身というか。
R.Taguchiそうですね。でもやっているうちに追求していくようになって。でも、そもそも職業の選択肢として、よくよく考えたらカッティング・エンジニアになりたいって思っても、なれるルートなんてほぼないんですよね(笑)。タイミングは良かったというか。
〈Wolfpack Mastercut Studios〉はちょうど1年くらい前の開設で、そこまでに試行錯誤が2~3年はあったわけですよね。
R.Taguchiそうですね。
さらにここではダブ・プレートも切っているわけですが。
R.TaguchiこれもDJをしてても、1TAさんみたいにダブ・プレート文化を通ってきているわけでもないんですよね。ダブステップは聴いてたんで、そのカルチャーの根元になんとなくあるぐらいしかなくて。
カッティング・エンジニアとして活動をはじめて、音楽との関わり方で変わったところはありますか?
R.Taguchiやっぱり全部つながってますよね。アナログ・レコードをデータ化することも、そもそものレコードを作る段階からの考えをベースにやったらやっぱり音も良くなるし。あとはカッティングも含めて、製造工程でどう音が変化するのかとかも分かってくるから。それを逆算して調整するというのもノウハウとして貯まっていきますよね。
レコードの音で、良い音ってコレというレコードはあったりしますか?
R.Taguchiさっき聴いてたんですけど、ブラック・ウフルのグルーチョのダブ・アルバム『The Dub Factor』ですかね。〈アイランド〉のレコードって、ある意味でレゲエっぽくないものも多いですけど、それが好きで。グルーチョのミックスで、〈Sterling Sound〉でカッティングされたアルバムで。
いろいろな定義があると思うんですけど、なにを持って音が良いとしますか?
R.Taguchiまずダイナミック・レンジが広い。カッティングというかレコードの音に求めているのがそこなんで、飛んでくるような立体感のある音、まるでそこで演奏している人がいるかのような迫力と。
デジタルとアナログだとイメージとしてはアナログの方が不得意な感じもしますが。
R.Taguchiそこはアナログの方が良いんですよ。デジタルの場合0dB(FS)という天井が決まっていて、天井を超えた音はクリップして歪んでしまうので、いかに決められた箱の中で上手く空間を表現するかという世界なのですが、アナログの場合は天井が無く圧縮する必要がないので、レコードの物理的な制約を守って上手くカッティング出来れば、例えばスネアなんかもパシッと前に出てくるし、歌声にも抑揚があって、それでいて大きく聞こえるという。そういうのことがレコードはできるので、レコードはいいですね。
『The Dub Factor』はそういうことができていると。
R.Taguchiレゲエにしてはハイファイすぎるかなとも思いますが、グルーチョの良さが出ているという。
そのあたりは過去のレコードとかきいて体感的に学んだり?
R.Taguchiリファレンスとして使用するのはジャンル問わず80年代のレコードが多いですね。これは「あの頃は良かった〜」的な考えでは決してなくて、レコードの溝の特性をふまえて録音やミックスの段階から音が作られており、なおかつ録音技術の向上に多大な投資が行われていた時代の録音芸術だからです。低音の量とか、位相とか、シビランスとか、レコードに溝としてカットするには多くの制約があって、もちろん現在の99.9%の音楽はレコードの仕組みに合わせて作られてはいないので、再調整せざるを得ないわけで。しかしそれと対極とも言える、アメリカやイギリスのヒット・チャートの音楽からテクニカルな気づきを得る方が多いのも事実です。プラグインの進化に伴うモダンなマスタリングは常に進化し続けていて、必死に追っています。
アナログ自体はすごい技術だけど、いまのデジタルの精密な英知が加わることでよりすごくなるということに良さを見いだしているということですか。
R.Taguchi音が良くなるのが当たり前というか、もちろんそれは考え方によっても違うと思うんですけど。そういえばリファレンスにしているレコードも最近ので、2020年のKoffeeも参加しているJ Hus『Big Conspiracy』ですね。マット・コルトンがマスタリングとカッティングを行っていて。とにかく作品として、音が広く、奥行きがあって、迫力があって、それでいて低音もしっかり出ていて。しっかり出ているけど、濁りがないという。サブベースの低いところまで全部聞こえるという。なのでリファレンスに使ってますね。
DJをやっていてエンジニアに、その経験が生きているなっていうのはありますか?
R.Taguchiあるエンジニアさんが言っていたことなんですけど、日本のレコーディング・エンジニアの人は数値とか、EQの周波数特性とかを気にしすぎていて、全体の音楽としての理想像が抜けているというのがあるんじゃないかなと。それは国民性みたいなものかもしれないですけど。その反対で、海外のエンジニアは「こういう音楽」「こういう音が作りたい」というのが先にあって、そこからどう音を作るのかという傾向があると思うんですよね。で、自分もDJをやってたのもあって、レコーディングのテクニックとかそういうものではなくて、死ぬほどいろんな曲を聴いたというのが基本にあるので、お客さんが持ってきた音源を聴いたときに「こういうことがやりたいんだな」とか「こういうのはどうかな?」と提案できたりっていうのはあるんじゃないかなと思いますね。そういう引き出しがDJをやっていて増えたと思うんで。DJとレコ屋と、そういうところから来たエンジニアってあまりいないと思うので。
Saidera Mastering & Recording
そんななかでさらにはオノセイゲンさんの〈Saidera Mastering & Recording〉、ある意味で超がつくほどの名門のマスタリング・スタジオで、おそらくいわゆる単に作品を作るよりも音質に関してもうひとつ高いところにハードルがある制作のときにお願いするところじゃないですか。
R.Taguchiそうですね。
いわゆるマスタリングのエンジニアとして、そこに入ろうと思ったきっかけは?
R.Taguchi先ほど話した内容ですが、レコードっていまのデジタルの音楽制作方法と考え方が根本的に違うので、送られてきた音源がマスタリングされていたとしても大抵の場合はカッティングするために再調整しなければいけないんですね。特に配信用と同じ感じに高い音圧でマスタリングされたものを再調整するのは大変で...だから、カッティングというレコードを作る目線も含めて、デジタル段階のマスタリングから出来るようになったら、もっと良い音が作れるんじゃないかと思って。そこに至るにはそれなりにマスタリングやミキシングに関する知識を勉強しなくてはならないし、ちゃんとしたところで学びたいと思って〈Saidera Mastering & Recording〉に。
カッティング用の調整の、さらにその手前のデジタル・マスターのマスタリングも各メディアを意識して一貫してできたら、そりゃ音がよくなりますよね。
R.Taguchiカッティングは、人がマスタリングしたものをレコードの枠のなかにいかにキレイに落とし込めるかというとこで、そこで音の変化は求められていないというか変化したらダメな部分で作業をしていて。言ってしまえばレコードの再生の枠内でその音源の良いところを出すという。だけど、デジタルのマスタリングに関してはもう少し自由な技術のなかで、音の提案までできるというのは魅力的ですね。
オノセイゲンさんというか、〈Saidera Mastering & Recording〉での作業はどうですか?
R.Taguchiサイデラのなかで行われている会話ひとつひとつ、スピーカーから聴こえる音の断片、とにかく気づきと発見というか。当たり前ですけど、絶対にネットに落ちていない情報というか(笑)。はじめはネットや文献ではじまって、ウルフパックでのカッティング・スタジオでの経験があり、さらにこれまでの勉強や経験をサイデラでも実際に答え合わせしつつという。とにかくサイデラでの作業は勉強でしかないですね。もちろんここでのカッティング仕事もそうなんですけど、とにかく理論がしっかりしたスタジオなので「なぜそうなるのか?」というのを理路整然と第一に考えるという。それ以前に、とにかく音楽そのものを大事にするスタジオだというのも重要で。理論派で、音楽第一主義という自分の理想のスタジオで。
レーベルも自分でやっていて、でももうちょっとマイペースなものですよね。良い作品と出会ったときに出すみたいな感じかなと。
R.Taguchiそうですね、力んでやってるわけではないですね。レーベルとして売上げをあげたいとか、DJに関しても売れたいというのもいまは全くなくて。レーベル自体、自分が作ったものをなんとなく出したところからはじまっただけ、といえばそうなんで。あとはRILLAさんがなんか曲を作り始めているから出そうよ、みたいな。もちろんそこで続けていく上では音質をちゃんとしたいなとはいうのは思っていて。作曲にしろ、ミックスにしろ、マスタリングにしろとにかくまだまだ発展途上ですね。それは自覚しているので。
レーベルは、自分のいまある英知を試す場……という感じでもなさそうですよね。
R.Taguchi全然それはないですね。友だちベースで、これで出したらおもしろいじゃんというぐらいの感じですね。そこまで音楽性も統一性をもたせているわけでもなく。もちろん、良い音質でというのはありますけど。
今後やってみたいことってありますか?
R.Taguchiやっぱり音が良いというのを体験する機会って、実は日に日に減っていると思うんですよね。今年の夏に札幌の〈プレシャス・ホール〉に行って、やっぱりクラブの音響としては、あの空間は日本で一番音が良いと思うし。で、サウンドシステムはまた別のベクトルがあって好きだしという。東京のクラブだとなかなか、キックの抜き差しとかでぶち上げるしかやることないなって思うこともあって……東高円寺の〈GRASSROOTS〉はまたちょっと違いますけど。音が良い空間って音楽が良ければ場が成り立つみたいなものが理想というか。僕ぐらいの世代のマスタリング・エンジニアってまだあまりいないと思うんですけど、あ、ボカロとかならいるかもしれないけど……。とにかく世代的なところも含めて、自分がマスタリングして良い音を作って、音が良いというだけで、それだけで音楽が良く聞こえるということを意識させたいなと思ってやってますね。音の良さみたいなことをみんなが気にするような、そういうきっかけとなるような存在になれたらいいですよね。あとはやりたいことと言えば、ヒップホップとかトラップとかのマスタリングとかももっとやりたいですね。やっぱりあの辺の音というのはさっきも言ったようにモダン・マスタリングの真髄がつまってると思うので。ツールの進化もそこに焦点があると思うので、良い音作ってみたいですね。
いまもレコードは掘ってたりするんですか?
R.TaguchiDJをもっとがっつりやっていた時期よりかは減りましたけど、興味の赴くままという感じで。最近は、基本的に、この盤は音が良さそうとか、このへんの年代の、このジャンルの音楽はどういうマスタリングとかカッティングをしているのか、とか、そういう傾向をつかむために特定の部分を買うというのも増えましたね。
DJ的なディグというよりも、エンジニアの目線として確かめるために買うという。
R.Taguchiそうですね、ジェンル問わず、ロックからなんでも。でも、そこでさわりだけ聴いて、それでわかった気になるというのは嫌ですけど。それで言うと、クラブものと、レゲエのレコードはいまだに良く買ってるし。そこは死ぬほどリッピングしたんで、音の傾向はつかめて、俯瞰して見えていると思いますね。
レゲエは、いまのダンスホールは別として、いわゆるモダン・マスタリングみたいなところとは全く違う価値観だったりするものだと思うんですけど。
R.Taguchiレゲエに関しては、ダンスホール、ジャパレゲ的なところのリスナーに届く音と、いわゆるベース・ミュージックに近いところのレゲエとかは音作りもそもそも違うし。サウンドシステムも念頭に入れているというのもあるし。例えばブッシュ・オブ・ゴーストの音源も、おそらく当時のレコーディングの段階だと、たぶんロックというか日本のバンド・サウンドっぽい音に仕上がってて。レゲエの匂いみたいなものは、その音には少し薄いかなという。それを今回は1TAさんとカッティングでレゲエっぽいサウンドにしたいという感覚で作って、逆にSoul Fireはもとの良さを生かして、〈ON-U〉とまではいかないけど、危うい感じを出すというか。そういえば他のところでカッティングされている日本のレゲエのバンドを聴いて「なんかレゲエの音じゃないな」って思うこともありますし、ああいうのは自分がやりたいなって思うんですよね(笑)。モダン・マスタリングでレゲエの音だったら、最近のジャマイカの現行のレゲエ、プロトジェイとかああいうのを聴くと、レゲエのツボを押さえつつ、いまの音を作っているなって思うし。そういう感覚のものはやりたいですね。
例えばレコーディングからマスタリング、カッティングまでできるエンジニアというか、それを完遂できるようなスタジオを作りたいとかあるんですか?
R.Taguchiいや、そこまではないですけど……音が自由に出せて理想のモニター環境があったらいいなと思うぐらいで。
location:Wolfpack Mastercut Studios
interview date:2024.06.16
supported by:Wolfpack & 1TA